意志に属したい日記

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する(アラン)

《読書記録》この間の読書

 間が空いてしまったが、この間の読書記録を簡潔に。コミック含む。

①『哲学な日々』野矢茂樹……エッセイだが、哲学史ではなく哲学の「問題」について考えている。国語教育にきっちり論理を組み立てる教育を取り入れろ、という主張など、共感するところ多し。

②『違国日記 11巻』ヤマシタトモコ……完結。だからといって何かが解決するわけではない。それでも平等に「朝」は来るという主人公の名前の意味、そして「違国」ではあれど「無関係」ではいられないというタイトルの意味を考えたとき、確かにそこに希望はある。

③『腸よ鼻よ 9巻』島袋全優……最も厳しそうな巻だった。作者が生きてて良かった。

④『海が走るエンドロール 5巻』たらちねジョン……個人的には一番ぐっときた巻。アマゾンの評価は割れているが(低評価の意見は主に「年をとっても突き進んでいるところがいいところだったのに」というもの)、年をとり、健康不安もある中で限られた時間内の優先順位をどうつけるか、というのは普遍的な悩みではなかろうか。そして優先順位上位のもののモチベーションは何か、何をしたくてそれに向かうのか、考えてしまうのが(残り少ない時間を使ってでも)真剣に向き合うということではなかろうか。

⑥『腸よ鼻よ 10巻』島袋全優……完結。絶望するでもなく、他人と比較して羨むでもなく、「マンガを描くこと」だけを合格点として淡々と病を受け止めていく、稀有な闘病記だった。わざとらしい前向きさのない、爽やかな読後感のコミック。

⑦『まだ見ぬ書き手へ』丸山健二……ストイックすぎると言えばそれまでかもしれない。が、裏表紙に書かれている要約に大いに共感する。「『まだ見ぬ書き手』は、文学なんぞ青くさくて話にもならないと思い、他の世界できちんと現実に立ち向かいながら、着実な仕事ぶりをしている人々のなかに埋もれている気がしてならない」「真に自立した新しい書き手の出現を望」む。真の自立は他との比較のなかからは生まれないと思う。

⑧『新しい時代を生きるための14のSF』伴名練(編)……「新しい時代」と銘打ってはいるが、面白いと感じたものはストーリーや雰囲気、扱われているテーマなどがオーソドックスなもので、ただ取り上げられている技術が新しいもの、という気がした。

⑨『深夜食堂 27巻』安倍夜郎……飲み友達の消息をぽつりぽつり聞いているような、懐かしさと少しの哀愁。

⑩『きのう何食べた? 22巻』よしながふみ……昔から知っている友人カップルの人生を垣間見ているような気持ちになる。結婚式のスピーチは任せてくれよ! といいたくなる。

⑪『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』ジャック・フィニイロバート・F・ヤング他 中村融(訳)……「時を超える純愛」「人生のやり直し」が日本で人気を博す、という解説に何となく納得する。そんな「日本ウケ」のする作品集だからか、古臭い価値観のもの(冒険するのは常に男、など)も多く、現代では興ざめしてしまいそう。あと、各編のタイトルの訳も昔の洋画や洋楽の邦訳のようであった。

⑫『政治と宗教』島薗進(編)……安倍元首相襲撃事件により緊急出版、とのことだったが、内容は良くも悪くも「研究の概観」といった感じで、仏・米を含む歴史的経緯と現状の説明であった。ただ宗教がその時々に応じて主張や政治との距離を変えてきたことは(考えてみれば当たり前なのかもしれないが)新しい発見であった。

 

こんなところだろうか。

仕事の愚痴と言えばそうなんだけど

仕事で小説の断片をいくつか読んでいる。
で、気がついたんだが「妻子のいる男主人公の一人称小説」って軒並み「俺の感受性」によって妻子を振り回し、妻子が文句を言うと「俺の繊細な感受性が理解されない」みたいなモノローグがうだうだと続く。
それに過去のマドンナ的存在への追憶が絡んだりするともう役満

そういうもんなんですか?

《読書記録》『生きベタさん』

 僧侶・釈徹宗と漫画家・細川貂々の対談形式で進む本。

 細川貂々氏のほうは「私は生きづらい」「私は非定型発達だから」という主張が強くて「またか……」とやや食傷気味になるほど。非定型発達だからコレコレこういう摩擦があっても仕方ない、それを認めない世界が悪い、という傲慢さも仄見えて。

 コラムでツレさん(貂々氏の夫)が貂々氏について、「『自己肯定感が低い』と言っていることについても、高い部分と低い部分、りょうほうあるんじゃないかなあ。高い部分は女王様で『どうして私のことが認められないの? なぜ私の言うことが聞けないの?』という意識の裏返し」と評していたのがまさにその通りだと思う。

 釈氏のほうはやはり仏教寄り(当たり前だが)で、「ありのままを自分で認めろ」という立場だが、「僧侶だから」そう考えるようになったという思考停止をせず、あくまで自分の試行錯誤の経験から、仏教の教えを「実感した」ので実践したように思える。そこが「非定型発達だから」で全てをなぎ倒そうとする貂々氏との違いかと思う。

 と、まあいろいろ書いたが「自己肯定感が高い人は高いゆえに無理をしすぎて鬱になる」ということに関しては目から鱗だったし、まさにこうやって評していること自体が「他者を観察することによって自分の特性を知る」という作業なのかもしれない。

《読書記録》『末期ガンでも元気です』

 

 闘病記、というものが実は苦手だ。その人の身体の性質や置かれている環境によって症状や副作用のみならず、心の持ち方や治療への方針などあらゆることが違うであろうに「○○という病気は△△になりがちなので」とか「□□という治療法は怖いと思われているがそんなことない」云々、あくまで「パーソナルな体験」を規定事項のように語られるのがどうにも落ち着かない。

 また、死を意識して内省的になるのはわかるが、家族への感謝を綿々と綴られても「いや、あなたのご家族を存じ上げないので……」と困惑するし、スピリチュアルなことを説かれても「あなたがそれに救いを求めるのはわかるが、それは『あなたの』救いであって私のではない」と感じる。

 なのでこの漫画も最初、買うつもりはなかった。しかしレビューにあった「親からの虐待サバイバーが持つ入院でのデメリットがしっかり書かれていてよかった」という文言に興味をもった。私も(作者とは異なるタイプだが)虐待サバイバーである。

 いざ読んでみると、思った以上に参考になった。なぜ虐待サバイバーが入院に際しデメリットがあるのかもわかったし、闘病中に言われて「嬉しかったこと/嫌だったこと」や、虐待サバイバーなら一度はある、虐待をカミングアウトした時に傷ついた相手の言葉の具体例があった。これらはガン患者とその周囲だけではなく、「自分には関係ない遠い世界と思っていたことが実は身近にあった」と知ったときの対処にも応用できるだろう。

 この漫画は徹底して「同じ境遇の人やその近しい周囲の役に立つように」描かれていると感じた。だから随所に「あくまでこれは自分の場合なのでご自分の主治医に聞いて」と書いてあるし、感謝の言葉は長々と主張していないし、ましてやスピリチュアルなことなどは一切描かれていない。

 作者の夫はうつ病を患っているらしく、自身のガンが判明したときにそのメンタルケアにまで気が回る作者はとても冷静で観察眼の鋭い人だったのだと思う。2022年12月に永眠されたそう。合掌。

年に一度(ぐらい)の突発性不調期

 年に一度ぐらい、仕事のみならず趣味にも何にもやる気が起きず、胸部の真ん中あたりが痛く(24時間心電図も取ったことがあるが異常なし)、いくら寝ても眠い時期があるのだけど、ここ1~2週間その状態。厄介なのは「これ」が季節性のものではなくいつ来るかわからないということ。せめて「夏は不調」「梅雨時は不調」というような一貫性があればいいのだが。

《読書記録》『ゼロからトースターを作ってみた結果』

 

まず「ゼロから」のレベルが想像を超えていた。「鉄鉱石を探しに行くところから」なのだ。

著者は「店で売っているような」トースターを、「土から掘りだされた状態の原料」から作った部品で、「産業革命以前に使われていたものと基本的に変わらない道具」で作ることを大学の卒業制作に選ぶ。そこから生まれた悲喜劇、ときどき紀行文といった体だ。

この本の表紙にある、ちょっとグロテスクにも見える黄色い物体、これがトースターだなんて思うだろうか。でも紛れもなくこれは著者が作った「トースター」である。

若さゆえの面倒くさがり、傲慢さ、無計画さを遺憾なく発揮しつつも、目標を達成しようと奮闘する姿は爽やかですらある。そして「現代資本主義の軌跡の一端を垣間見」たという境地にまで達する。

この試みは「僕らがどれだけ他人に依存して生きているかということを教えてくれた」と作者は言う。そう、忘れてはいけない、我々は一人ではゼロからトースターを作ることすらできないのだ。

 

くだらないことを真剣に行えば、真理に近づける。この本は、頭でっかちではない”手作業”での文明論、科学論として説得力を持っている。

 

 

 

 

新陳代謝

段ボール3箱分の本を買い取りに出した。

選定基準は
「ときめかない」
「勉強のために読まなきゃいけないような気がしている」
「プレッシャーを感じる」
「嫌な気分になりそう」
なもの。既読も積ん読もまとめて。

 

かつて夢中になって読んだもの、そこからの期待を込めて買ったもの。そういうものたちにプレッシャーやら嫌な気分やらを感じるようになってしまうのは寂しいが、どこかさっぱりしたのも確かである。

 

本に向き合ったときの気持ちは、自分の変化をよく表す。