意志に属したい日記

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する(アラン)

《読書記録》『生きベタさん』

 僧侶・釈徹宗と漫画家・細川貂々の対談形式で進む本。

 細川貂々氏のほうは「私は生きづらい」「私は非定型発達だから」という主張が強くて「またか……」とやや食傷気味になるほど。非定型発達だからコレコレこういう摩擦があっても仕方ない、それを認めない世界が悪い、という傲慢さも仄見えて。

 コラムでツレさん(貂々氏の夫)が貂々氏について、「『自己肯定感が低い』と言っていることについても、高い部分と低い部分、りょうほうあるんじゃないかなあ。高い部分は女王様で『どうして私のことが認められないの? なぜ私の言うことが聞けないの?』という意識の裏返し」と評していたのがまさにその通りだと思う。

 釈氏のほうはやはり仏教寄り(当たり前だが)で、「ありのままを自分で認めろ」という立場だが、「僧侶だから」そう考えるようになったという思考停止をせず、あくまで自分の試行錯誤の経験から、仏教の教えを「実感した」ので実践したように思える。そこが「非定型発達だから」で全てをなぎ倒そうとする貂々氏との違いかと思う。

 と、まあいろいろ書いたが「自己肯定感が高い人は高いゆえに無理をしすぎて鬱になる」ということに関しては目から鱗だったし、まさにこうやって評していること自体が「他者を観察することによって自分の特性を知る」という作業なのかもしれない。