意志に属したい日記

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する(アラン)

データを繋げる

 朝日新聞のメルマガ「アナザーノート」昨日のテーマは「子どもへの虐待 AIが救う日は?」。人力での面談や聞き取りにどうしても伴う、保護者の言葉を鵜呑みにすることや「たぶん大丈夫」という思い込みを廃し、客観的データ(4歳女の子、顔面に傷、近隣からの通報など)を入力すると、AIが過去の死亡事例にどれだけ近いかを%で判定してくれる。
 2012年に幼い子どもの虐待死事件が相次いだ三重県では、当時の知事で今は自民党衆院議員の鈴木氏が全国に先駆けてAIを活用した虐待対応を始めた。
 「一律のサービスではなく、一人ひとりの課題にそった支援をしていくことができるのではないかと思います」と鈴木氏は言う。
 国政では河野太郎・前行政改革担当相がデジタル庁での子どもに関するデータ連携構想の火付け役となった。
 河野氏も鈴木氏と同様に「これまでは平均値でみて行政をやる時代だったが、これからは個別のデータにもとづき個別の対応ができる時代になった」と述べる。(どうしてその発想を子ども関連だけでなく、同性婚希望者などすべての国民に適用しないのか、という疑問は拭えないが)
 河野氏はこうも述べている。「子どもが5人いる、という情報と、所得がコロナの影響で激減したという情報、それらの情報がつながって初めて必要な支援ができる。データはつなげなければ意味がない」
 奇しくも先日、NHKBSプレミアム「アナザーストーリーズ」の「立花隆vs.田中角栄」の回で、立花隆出世作である「田中角栄研究」について「誰でも入手できる資料を集め分析するオープン・ソース・インテリジェンスの走り」と紹介されていた。
 オープン・ソース・インテリジェンスとは、それまでの「最も近いA氏が暴露する!」といったものでなく、例えばB氏に政治資金として1億円が渡っているというデータ①と、B氏の収支報告書のデータ②を見比べ、②で収入に2千万しか記載されてなかったら「これはおかしい」となる、というもの。
 まさに河野氏の言う「データをつなげる」手法である。ちなみに「田中角栄研究」が世に出たのは1974年
 思うに、今まで「総中流社会」「横並び」であったがゆえに「縦割り」(=データが各担当部署にのみ存在する)でも「平均値への対応」でも何とかなっていたのではないか。けれど今や格差社会。データを繋げ、個別の対応をしなければならない。そのことに政治家は一体いつ気づいただろうか。いやそもそも、気づいた政治家がいったいどのくらいいるだろうか。
 同時に、民衆側も「あの人はいい人/あいつは悪い奴」の二元論、人物論で行政を評価するのではなく、データを入手し、それを繋げ、おかしいところは指摘するという努力を惜しんではならないと思う。そうして多くの人が検証するようになれば、いつまでも黒塗りデータでごまかすこともできないだろう。
 「あの人はいい人だから何にも心配いらない、任せとけばOK」という思考停止では自分たちの生活も子どもたちの未来も守れない。そのことを意識している人はどのくらいいるだろうか。
 以上、自民党朝日新聞も別に好きではないが、「データを繋げる」ことの重要性に関してなるほど、と思ったので一言。